2008年03月11日
ライプツィヒ
ドイツの街です。
ライプツィヒ(ドイツ語: Leipzig(ヘルプ・ファイル))はザクセン州に属するドイツの都市である。人口は約49万8千人(2004年12月現在)で、ザクセン州では州都ドレスデンをやや上回って最大の都市で、旧東ドイツ地域ではベルリンについで2番目である。ライプチヒとも表記される。
7世紀から9世紀、エルスター川とパルテ川の合流地点近くに、スラヴ人の集落ができたことがこの街の始まりとされている。 「菩提樹が育つ場所」という意味の "urbs Libzi" というスラヴ語で呼ばれ始めたのは、1015年頃に遡る(このため、日本でも稀に菩提樹市と称される場合がある)。
聖トーマス教会ライプツィヒの聖トーマス教会カントル(トーマスカントルとも)は近世においてドレスデンの聖十字架教会と並んで北ドイツの教会音楽をリードしてきた。トーマスカントルにはJ. S. バッハなど高名な音楽家が多い。1539年、マルティン・ルターは新教布教のために、この聖トーマス教会でも説教を行った。
1409年に開学したライプツィヒ大学は、ドイツ国内でハイデルベルク大学に次いで2番目の歴史を持つ。
ライプツィヒはまた、見本市によって発展した商業の都市である。本の都市としても発展した。15世紀末までは、外国の印刷業者や書籍商により印刷物が持ち込まれていたが、1481年、ライプツィヒでも本が印刷されるようになる。1530年までに、1300種類もの本が出版された。1594年からは、本の見本市のカタログまで出版されるようになり、1650年には、世界初の日刊紙がライプツィヒで登場することになる。 次々と新しい印刷所と出版社が生まれ、ライプツィヒは今日に至っても有名な書籍の街である。岩波文庫を作る際に手本にしたとされるレクラム文庫や、世界で最初の音楽出版社ブライトコプフもここで生まれた。
旧東ドイツ時代にはライプツィヒはドレスデン、カール・マルクス・シュタット(現・ケムニッツ)とともに東ドイツの主要工業地域を形成した。
東ドイツ時代末期の1989年には「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、旧東ドイツにおける民主化運動の拠点となった。
ドイツ統一後は、旧西ドイツの企業も進出し、最近ではポルシェ社が工場を建設し、話題になった。
(以上、ウィキペディアより引用)
それにしても読みづらい。。
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